名鉄有松駅から桶狭間古戦場へ歩いてみよう・・その10 、のつづきです。
高根山の頂上、有松神社境内の鳥居のあるのが東側です。
高根山の東側にある鳥居ごしに、東北東よりにカメラを向けると、
小瀬甫庵の「信長記」や参謀本部の「桶狭間の役」で有名になった、太子と大将ヶ根の山なみにびっしりと住宅が建ち並んでいる様子が見えます。
現在の正式な地名は、名古屋市緑区太子、名古屋市緑区大将ヶ根、で、字がそのまま地名になっています。
鳥居の横から、東南東にカメラを向けると、生山、武路という地名の山なみに、住宅が建ち並んでいます。
この生山(はいやま)、武路(たけじ)、という地名も、字をそのまま現在の地名、愛知県名古屋市緑区有松町大字桶狭間生山、愛知県名古屋市緑区武路町です。
大字ののこった地名はとてもいいと思います。
緑区はこの大字があったりなかったりするところです。
大字をなくすようなことはやめてほしいです。
生山、武路は、ここが戦場であったことを表している地名と考えられています。
なぜこのような名前がつけられたのかという理由、名付けの起源については、この付近に古くから住んでいる住民にも伝わっていません。
昔はただの雑木林の山、単なる里山だったのに、このような名前がつけられているのは不自然ですよね。
ただの里山に武路、なんて名前はつけないですよね、普通は。
ここが戦場になった歴史があるからこそ、そのような名前が付けられた可能性は非常に高いといえると思います。
高度成長以前までは大将ヶ根も太子も生山も武路もただの山でしたし、住宅地造成が進められ、山が切り開かれてからもしばらくはスカスカの空き地だらけだったんですが、現在はこのように隙間なく住宅が立ち並んでいる状況です。
名古屋市緑区はこのような雑木林の山を切り開いて発展してきた町です。
バブル崩壊以降、日本全国で銀行の支店が新しく建てられたのは、名古屋市緑区の徳重支店だけだ、というニュースが報道されて話題になってましたが、名古屋市緑区というのはそういうところです。
名古屋市の緑区というところは、東海道の有松の宿場町のような伝統ある街並みがありながら、今も発展を続け人口が増加している所で、若々しい街もたくさんあるところです。
伝統と新興住宅地の混在するのが緑区です。
高根山の有松神社を出ます。
名鉄有松駅に掲示されていた、「戦のみち」 の最初のポイント、高根山の有松神社から、この地図のとおりに次のポイントへ向かいます。
なので、有松神社の敷地に入ってきたところから出ます。
さっき登ってきた坂道を右手(西側)に見ながら、
この坂は下りずに、有松駅の地図の「戦のみち」のとおりに、有松神社の南方への道を進みます。
南方に見えるのは、幕山と巻山です。
名鉄有松駅から桶狭間古戦場へ歩いてみよう・・その11 、終。
その12へつづく
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