2013年5月14日火曜日

名鉄有松駅から桶狭間古戦場へ歩いてみよう・・その15


名鉄有松駅から桶狭間古戦場へ歩いてみよう・・その14 、のつづきです。


武路山の東の斜面を下って、谷に下りてきます。




桃花学園大学&名古屋女子短大の敷地に沿ったこの道路を南方に進みます。

この道路を挟んで、武路山側の西側が名古屋市、大学側の敷地が豊明市です。






この道路は名古屋市と豊明市の境界で、この写真の左側が豊明市、右側が名古屋市です。

この道路を南に進んでいくと、




大学の駐車場のフェンスのところに、




有松桶狭間観光新興協議会の掲示版が登場します。

この掲示版には、




「前方の斜面を信長軍が駆け上がったと言われており」

と書いてあるんですが、これも実は想像で、有松桶狭間観光振興協議会による一つの説です。

直接的な証拠の文献や痕跡が残されているわけではありません。

しかしこの説も100%否定するものでも肯定するものでもありません。

この説を否定する証拠資料も存在するわけではないからです。
前方の斜面とは、




この林ののある斜面の事で、この山が、さらに南にある、地元の人が最近「おけはざま山」と呼ぶようになった山と地続きになっていたことから、今川義元本隊の右翼部隊がここに陣取っていた、とする有松桶狭間観光振興協議会の見解も、一つの説として楽しむ心が大切です。

「これしかない」

と思っては桶狭間が楽しめません。

この付近を歩いて、さまざまな推理を巡らせることが、桶狭間の最高の楽しみです。

誰しもが桶狭間の合戦の研究者になれる、それが桶狭間の戦いの魅力です。

そのようなブログも多数ありますよね。

そのような魅力を楽しみましょう。


ところで、この駐車場は昔、農業用のため池でした。

合戦当時には存在しない池だったと思われます。

このような山間にため池を作ってまで水田耕作をしなければならないほど、当時は人口がいませんでしたので。



名鉄有松駅から桶狭間古戦場へ歩いてみよう・・その15 、終。


その16につづく。




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