2013年5月2日木曜日

名鉄有松駅から桶狭間古戦場へ歩いてみよう・・その6

名鉄有松駅から桶狭間古戦場へ歩いてみよう・・その5 、のつづきです。


有松駅に掲示してある地図に記述されている、「戦のみち」のスタート地点の丁字路からです。



                    ↑
この地図は南側を向いて設置されているために、上が南をさしている地図です。



東海道からこの丁字路を右折します。

丁字路を右折し、最初の戦跡地、高根山へ向かいます。

地図で見ますと、



大きな地図で見る


この地図の中心にある丁字路です。

この丁字路を南南西に向かって進みます。

このブログを書いている時点で、まだこの道路のストリートビューはありません。

そのうち登録されると思いますが・・


丁字路を右に見ると、いきなり坂です。




有松駅のまわりに川が流れていたと思いますが、その川はこの一帯の山を削って、低地をつくりました。

その狭く平らな低地に、有松駅や有松の町並みが広がっているのです。

この坂を少し上って、振り返ってみると、





有松駅の周りのAEONやマンションの、かなりの階層のところに、自分が立っている事がわかります。

これがこの桶狭間付近の特徴で、このような高度の高い山がいくつもあります。

そして川に削られた谷も多数存在します。

見晴らしのいい場所と、見えない谷が多数存在し、桶狭間合戦の進軍ルートと、合戦の場所の特定を非常に難しくしています。

たとえば

http://www.04u.jp/ang0005.html

これをみると、鳴海城、丹下砦、成海神社、善照寺砦、が全部見えますが、本当はすごい山や坂だらけなんですが、この高度ですら見てもその様子は全くわからず、平坦な地形に見えてしまいますよね。

Googleマップで見ていても、この各砦の存在した高度や谷の位置関係は、現地に行かないと絶対にわからない、理解できないものがあります。

そんな事を感じながら、この坂を登ってみてください。


さらに南方へ直進しますと、Googleマップを見てもわかるように、有松小学校の塀が見えてきます。




有松の町並みにあわせた、オサレな塀の有松小学校が見えてきます。

さらに有松小学校のオサレな塀にそって南へまっすぐ坂を登って進んでいくと、歩道橋と信号機のある交差点が見えてきます。




交差点の名称は、「有松交番前」




交差点のところにある有松交番の建物も有松の町並みを意識してオサレです。




ちょうどおまわりさんもいます。

そしてこの有松交番前の交差点ですが、この歩道橋がまたいでいる道路は、国道1号線です。



              ↑
この写真は有松交番前交差点の東側に向けて撮影したものです。

この国道1号線をまっすぐに東に進むと、東京に行くことができます(笑)

そしてこの道路が、山を開削して作られた道路であることがわかります。

大正時代の古い地図を見ても、国道1号線はここには存在しません。

この地図を見るとわかりやすいと思いますが、
   ↓

http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=52364755

いかにも、「山を削って国道1号線を通してます」って感じなのがよくおわかりいただけると思います。

明治24年の有松村から桶狭間村にかけての地図を見てみると、




ちょっと解像度が低くてすいません(クリックすると拡大します)ですが、国道のあった場所は地続きの山の尾根になっているのがおわかりいただけますよね・・しかし、桶狭間について書かれた書物の中には、

「1号線をまっすぐに東へ進んで桶狭間へ向かった」

などと記述しているトンデモ本も世の中には存在します。

現地に来ないで、現代の地図だけをみて本を書いている人がいて、信じられないことにその本が発行されてしまうことがあるのですね・・。




名鉄有松駅から桶狭間古戦場へ歩いてみよう・・その6 、 終


その7につづく




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