名鉄有松駅の高架歩道橋を降りて東海道に入ります。
この交差点を左折します。
左折するとそこは、江戸時代の幹線道路、東海道です。
東海道五十三次の池鯉鮒宿と鳴海宿の間に位置する有松の町並みです。
江戸時代にはこの東海道が唯一、江戸と京・大阪を結ぶ唯一の街道でした。
ここは町人も農民も武士も飛脚も伝馬も大名行列も、お伊勢参りも、朝鮮通信使も、将軍に見せるためのインド象も、坂本竜馬も西郷隆盛も、ええじゃないか踊りの群衆も、錦旗を掲げた軍も、遷都の際に江戸城へ向かわれた明治天皇も、ありとあらゆる「歴史のできごと」が通った道です。
ここは空襲に遭わなかったので江戸時代からの建物が残っています。
部分的(下の箇所)にモルタルが塗ってありますが、上部は漆喰のままです。
漆喰も、たとえば大正とかに塗りなおしたとか、そいういう事情はわかりませんが、昔のままの姿をとどめています。
江戸時代にタイムスリップした気持ちになれます。
・・・桶狭間の合戦があったころは、このあたりは家一軒すら立っておらず、森の中の一本道で、山賊のような強盗が多く発生したため、江戸時代に東海道を開削した際に、居住者を募ったのが有松の町並みの始まりです。
つまり、治安を良くするために、有松の町は作られました。
知多半島からの居住者が多く住みついたのが有松の始まりだそうです。
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こんなふうに、江戸時代の商家が、今も店として使われています。
入口のところに近づいてみると、
文化庁登録有形文化財、と書いてあります。(クリックすると拡大します。)
江戸時代の建造物だから、国から文化財として登録されているみたいです。
そしてもうちょっと進むと、
最初の丁字路に出ます。
この丁字路を右折します。
ここの丁字路こそ、名鉄有松駅の地図にあった、「戦のみち」のスタート地点です。
この地図の赤い線で描かれているのが、「戦のみち」です。
緑色の線で描かれているのは、「町並みのみち」です。
有松駅に着いたのが午前中で時間があるのであれば、町並みも見て回ってから、「戦のみち」を進むのもよろしいかと思います。
有松の町並みにつきましては、詳しくはこちらをご覧ください。
http://www5.ocn.ne.jp/~arimatsu/map.html
http://www.shibori-kaikan.com/arimastumachinami.html
http://nk.xtone.jp/archives/arimatsu-dashikaikan.html
名鉄有松駅から桶狭間古戦場へ歩いてみよう・・その5 、 終。
その6につづく
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