2013年4月26日金曜日

桶狭間の戦いの主戦場はどこか?

桶狭間の戦いにおいて、今川義元がどこで討たれ、首をとられたのか?

それは、名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園である可能性が非常に高いことを前回ご紹介いたしました。
 ↓

桶狭間の合戦とは?

http://okehazama.blogspot.jp/2013/04/blog-post_25.html


そこで、

今回は、桶狭間の合戦の主戦場はどこだったのか?

について、まとめてみたいと思います。

それは、塚のあったところです。

桶狭間に出かけたら、是非行って欲しい場所として、


・桶狭間古戦場公園(名古屋市緑区)
・長福寺
・七ツ塚
・桶狭間古戦場伝承地(豊明市)
・戦人塚


の5か所には最低限でも行ってほしいなと思います。

それぞれの場所は、

桶狭間古戦場公園

長福寺

七ツ塚

桶狭間古戦場伝説地

戦人塚


昭和13年4月、豊明村は文部省から桶狭間古戦場伝説地として、「今川本陣があったのはココ」と間違えて指定してしまった場所です。

なぜ間違えてしまったのかについては深い理由があるのですが、この件につきましてはまた後日まとめてみたいと思います。

桶狭間の合戦の主戦場ですが、実はこれもはっきりとした文献や証拠が残っているわけでもなく、あいかわらず残っている資料も二次資料ばかりで、確固たる証拠になりえていません。

しかし、塚のある場所は、そこがかつて戦場であった確固たる証拠です。

塚というのは、「墓」と同じ意味で、上記の戦人塚のURLをクリックすると地図がありますので、その場所がわかると思います。

七ツ塚は以下です。

大きな地図で見る


民家と民家の隙間の通路を通らないと七ツ塚に到達しません。

小さいですが看板が入口のところにありますので、見つけてもらえればと思います。

この二つの塚の場所が、ずいぶんと離れた場所にあることがおわかりいただけると思います。


織田信長の本隊と、今川義元の本隊が激突したのが正午すぎといわれています。

戦が終わったのは夕刻で、その時間は4時間から5時間くらいでしょうか。

七ツ塚は正午過ぎに戦が行われた場所、戦人塚は、夕刻あたりまで合戦が行われた場所、ということが推定されています。

だから、桶狭間の合戦の主戦場は、この七ツ塚と戦人塚の間、という事だけは、少なくとも定義することができるでしょう。

この2つの塚に、桶狭間の戦いで討ち死にした戦死者が埋葬されました。

とくに七ツ塚は、約50m感覚で7箇所に埋葬されたのが由来で、それで七ツ塚という名称なので、山の斜面にあるこの七ツ塚の規模からも、いかに戦死者が多かったのかがおわかりいただけると思います。

その七ツの塚のうち、一つだけ残したのが、現存する七ツ塚です。

戦人塚も山の斜面にあります。

当時水田に利用できなかった山の斜面に戦死者を埋葬する塚を作ったのだと想像されます。

この二つの塚の間も、その周辺も、すべてびっしりと家が立ち並ぶ住宅地になっています。

だからここがかつて主戦場であった、ということを想像するのは難しいのかもしれません。

しかしこの二つの塚を思い起こせば、確かにここが桶狭間の主戦場だったのだということが実感できます。

現地に行ったら、この二つの塚の位置を把握しつつ、かつて桶狭間合戦の主戦場だったこの地にさまざまな想像を巡らせてみてはいかがでしょうか。

現地に行けない方は、最近ボチボチ桶狭間もストリートビューが入っていますので、そんなことを考えながら画面をご覧いただけたらなと思います。



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