2013年5月6日月曜日

名鉄有松駅から桶狭間古戦場へ歩いてみよう・・その10

名鉄有松駅から桶狭間古戦場へ歩いてみよう・・その9 、のつづきです。


高根山の有松神社のつづきです。






もう一方の看板には、手書きの古い古戦場図が載っています。




この手書きの感じからも、布陣図が相当古い事がわかると思います。

この布陣図も、正しいと思われるところもあれば、おかしいなと思われるところもあります。

100%否定するものでもなければ、100%肯定するものでもありませんが、こういう図を掲示するのはとてもいいことだと思います。

地名そのものは100%正確ですし、訪れた際にとても参考になります。


さまざまな歴史雑誌に、合戦場の鳥瞰図を描かれている黒澤達矢さんをご存じでしょうか?

その方が桶狭間合戦図を描かれているのですが、

http://members3.jcom.home.ne.jp/tatsuya9630/img034copy.jpg

黒澤達矢さんの描く桶狭間合戦図では、この高根山から幕山、巻山にかけて今川義元が布陣している様子を描いています。

確かに高根山は中島砦や善照寺砦から見える位置にあります。

有松神社の境内に掲示されている布陣図に描かれている、「おけはざま山」 からは、中島砦や善照寺砦が見えないのです。

松井軍が布陣していたのがこの高根山と幕山とされ、幕山の名前の由来は、「松井軍が布陣した際に陣幕を張ったから」 などと地元では言われています。

しかし、今川義元本隊の前衛部隊である松井軍が、陣幕なんかいちいち張るかな?という疑問がわいてきます。

もちろん、陣幕を張っていないという証拠もあるわけではありません。

だから、「説」 なんです。

議論百出の、「説」 なんです。


さて、この有松神社の境内ですが、その広さは300坪から400坪くらいでしょうか。




有松神社の敷地の東側に建つ鳥居の外側は階段で、高根山の頂上であるこの場所が急な崖のまさに尾根の先端に位置する場所であることがよくわかります。

ただ残念なのは高い気が激しく繁茂していて、周りの景色がよく見えないことです。

標高が約50mもあるこの地点で、マンションでいうと15階から16階くらいに相当するこの見晴らしのいい場所で、木が茂っていて周りがよく見えないのは非常に残念です。




有松神社御本殿に向かって右側(北側)にこの地域の方々の忠魂碑が顕彰されていますので、一礼して、その脇に入らせていただきます。




木の葉に隠れて、鳴海城も善照寺砦も見えない・・

とっても残念です。

写真左上のマンションを見ても、この場所がこのマンションの最上階とあまり高さがかわらないのがお分かりいただけると思います。

さぞやいい眺めのはずなのですが、この隙間から、大高緑地の一部とその北側の住宅地がちょっとみえるだけ・・とっても残念です。

このあたりの木の上側だけでも刈り込んで、展望台なんか作っていただけるとありがたいんですが・・ここは神社であり忠魂碑のある聖地ですからね・・難しいのでしょうね・・・。

桶狭間古戦場保存会の方が撮影した写真がありますが、これはこの付近の住宅に入られて撮影したものと思われますが、

http://okehazama.net/modules/sisekimeguri/01_takaneyama.html

こちらの写真をごらんください。




名鉄有松駅から桶狭間古戦場へ歩いてみよう・・その10 、終。



その11につづく




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